リズと青い鳥 感想という名の怪文書
こんにちは、鏡花です
今回は響け!ユーフォニアムのスピンオフである「リズと青い鳥」という劇場アニメを見てきました。
元々ユーフォ自体は可もなく不可もなく、放送当初は毎週楽しみだったけど終わってしまえばぼや~っとした記憶しか残っていない程度のファンだったのですが。
まどマギ以来でしょうか、映画見た瞬間に真剣な顔つきになってしまいました。
”オタク隙あれば自分がたり”と昔の偉い人が言いましたが、僕も例に漏れずオタクなのでちょっとだけ自分がたりをします。
僕は、いわゆる百合豚です。
女の子同士がいちゃつくのを見るのがたまらなく好きです。でも直接的、または間接的にそれに介入したい、混ざりたいとかいうわけではなく、ただただそれを眺めるのが好きです。
どれぐらい好きかと聞かれたら、来世はそういった女の子同士の絡みをただただ観測するだけの謎の概念になりたいと心から願うほどに百合というものが好きです。
まあぶっちゃけいろんなもんをこじらせた成れの果てなんですけど。その上好きという割に経験値低いんですけど。
ともかく、そういう百合作品が大好きな僕が、過去最高にもだえた作品が、このリズと青い鳥という作品でした。
ここから先はバンバンネタバレ書いていきますので、苦手な人はブラウザバックで。
と、いったものの、要領が悪い人間にはキャパオーバーすぎる作品だったので、1点ずつ評価すべきところを書いていってみようかと思います。
単に映像としての感想
まずは映像としての感想です。
キービジュアル公開時に話題になってましたが、キャラクターデザインが大幅変更されています。
同じ京アニ作品で言うと、甘ブリっぽい絵がけいおんとかハルヒ二期見たいな感じになりました。いや、分からん、例えられないかもしれん。
この時点で賛否分かれるかなあって感じはあったんですけど、ぶっちゃけ何も問題ありません。というのも僕はユーフォ2期からユーフォに触れていないからかもですけど。
もしユーフォに真剣で、円盤買ったし、劇場版(総集編)も見たし、その円盤もマラソンしてます、見たいな超真剣部の人が見たら確かに違和感かもしれませんね。僕もリズ見た後に2期見直して「いやこれは誰」となりました。
物語は「リズと青い鳥」という絵本の物語と、本編(北宇治高校吹奏楽部のみぞれと希美の話)が絡み合い、作用するような形で進むのですが、絵本パートでは絵本の絵柄、本編は本編の絵柄で分けられ、1作品で2つ見ているような、それぞれの世界観に引き込まれるような描き方がされていました。
まあこのいったりきたりする感じも、何回か見るとちょっとテンポ悪いかな?と思うところもあったのですが、演出としてかなりGOODだと思います。
そのほかにも、カメラのゆれ、線の動き、夏の風景の色彩、どれをみても「京アニ」の作品で、僕は京アニの作品が好きなのでこれこれ、このクォリティだよ、となりました。笑うと眉が下がってふにゃっとなるみぞれの顔とか、希美の顔を見るたびに目が輝いちゃうみぞれとか、すごく良い。本当に好きなんだなって伝わってくる。
音にこだわる
響け!ユーフォニアムは音楽に関連するアニメですから、相当音にはこだわりを感じる作品であるわけですが、このリズと青い鳥も例に漏れず音へのこだわりがすごいです。
すごいというのは単に演奏シーンだけこだわっているとかじゃなくて、キャラクターの一挙手一投足について来る効果音にこだわりを感じ、京都アニメーションの作品に感じる「現実に溶け込んだ非現実(アニメーション)のような雰囲気」を際立たせるというか、ああ、このキャラクターは「生きている」!と感じさせてきます。
例えばそれは、ローファーを履いて歩いたときの足音。
上履きをすのこへ下ろしたときの音。
歩いてリュックがすれる音。中のものが動いているなって音。楽器の音はもちろん、それを吹くブレスの音。
もしかしたらこれは劇場ならではなのかもしれませんね。上から音が降ってくるような、ああいう劇場の良い環境だからこそのこだわりかもしれません。もしかしたら円盤を家で見ただけじゃこの感覚は味わえないのかも。
物語としての「リズと青い鳥」
さて、映像やら音やら一般のオタクが何いってんだ見たいな事書きましたけど、ここからはさらに怪文書化すること間違いなしの、物語について書いていきたいと思います
この作品は、言ってしまえば「響け!ユーフォニアム」であって、そうではありません。極論を言ってしまえばテレビアニメの1期2期どっちも見てなくても十分楽しめるレベルです。
そしてテレビアニメを見ていたとしても、僕みたいにボーっと物語の大筋をなぞっただけなのか、キャラクターの心情を考え、演出に隠されたそれを読み取ろうとしたぐらいちゃんと見たのかで、大きく感想が変わる作品です。
この作品、大筋をなぞるように見ると、みぞれが強い執着を希美にもっていて、それがテレビ2期とは逆に枷になっていたけど、希美を手放さなければならないのではなく、希美がそう願うのならばみぞれはそれが叶うよう、前に進もうとする物語のように見えます。(何書いてるのかわかんなくなってきたけど。)
まあ要するに視聴者はみぞれに感情移入をし、みぞれの目線で物語を見ていくわけですね。
そしてそれをしていくと、最悪の場合希美が嫌いになりかけるようなシーンがいくつもあります。
例えば、部活をやめたことに関して「もう昔のことでしょ?」という発言とか。
「私、本当に音大にいきたいのかな?」からの「え、(みぞれには)言って無いよ」とか。
クライマックスの理科室では、「みぞれはさ、これから広い世界に出て行くんだよね」なんてもう煽りでしか無いだろ、みたいな。半分以上ヤケじゃねーか、みたいな。
みぞれ目線で希美の「影」の部分をみてしまった視聴者は完全にそういう気持ちにしかならないわけですけど、じゃあ逆に、希美目線で見ていったらどうでしょう?という話です。
対等だと思っていたけど、そんなことはなくて。
私にはあなたが全て、なんていうけど、彼女の周りには彼女を慕う人がいて。
そして希美の演奏はみぞれの「好き」にも入らないような要素で。
・・・いやいや、こんなん腐るだろ!!!!!!!嫌になるだろ!!!全て投げ出して距離を置きたくなるだろ!!!!!!本人に葛藤を伝えちゃうだろ!!!!!
他人に対して強い劣等感を抱いてしまったことが誰しもあると思うんですけど、希美のこの思いに気づいてしまったときにそういう部分に重なってドエライしんどくなります。
「大好きのハグ」を結局さいごまで希美からしないわけは?
「みぞれのオーボエが好き」という1言にこめられた思いは?
リズと青い鳥(絵本)に関しての「なんか、私たちみたいだな」とか、「青い鳥はあいたくなったらまたリズに会いに来ればいいと思うんだよね」とか、「物語はハッピーエンドがいいよ」とか。
もう希美の感情、終始ぐちゃぐちゃなのにみぞれの前では絶対見せないとことか、本当にしんどくないですか?なんなんだ、お前は・・・
思えばユーフォ2期で出てきたときから、この子は本当に不憫な役回りなんです。
なぜ部をやめる際にみぞれに声をかけなかったって、みぞれががんばっていたからと希美は答えましたが、単にそれだけだったら声をかける際に「なんか、久しぶりだね」なんていわないし、ということは部をやめてからまともに話していないってことだし(話していたら顔を見ただけで吐き気がするってことに気づくはず)。
声をかけなかったのはがんばっていたから、というのが本当だったとして、その後ろくに話しもしないってよっぽどのことだよね、って感想を見てそれそれ、それだよってなってしまった。
「わたしにはあなたが全て」なんていいながら、いなかったらいなかったで優子といちゃついてるし。
あすか先輩の「穿った見方」はあながち間違いじゃないって事でしょうか。
感情とともに書いていることがごちゃつきましたけど、つまるところ。
普通に見ていけば、視聴者はみぞれの視点で、みぞれが見るはずも無い希美の影を知ってしまう。
希美の視点になれば、「みぞれはさ、ずるいよ」という一言に尽きる。
そんなクソしんどい話なんです。なんだこれ。
「覗き見」とか、「壁やカーテンになりたい人向け」ってのは「第三者が介入しない形でキャラクターの絡みが見たい人向け」という意味のほかに、「どちらの視点にもならず(またはどちらの視点にもなって)、観測者として(両者として)みるべき作品」という意味でもあるんだなあと思いました。これも他の人の感想の受け売りですけど。(ユーフォ本編と違うところはここ。本編では久美子=視聴者の視点で物語が進むので、視聴者が介入する形でキャラクターの関係性が変わっていくけど、一番重要なことには突っ込まず、一番視聴者がキモチ良いポジションで話が進む。もっとも、それはあすか先輩に突っ込まれるわけだが。)
もうリズを見た人も、そうでない人も、もういっかい「観測者」になりに行ってみてはいかがでしょうか。きっとSongbirdsが流れるエンドクレジットまで、終始感情の波に飲まれること間違いないと思いますよ。